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旅行記
No.3
By sato2006/4/20 22:10

7日目〜帰国
3月30日(木曜日)曇り
シュトゥットガルト(ルートヴィヒスブルグ城→オペラ)
ゆっくり起きて、ルートヴィヒスブルグ城を外側だけ散歩した。城の中はツアーでしか見れず、予定していたオペラの時間にぎりぎりだったのでやめた。庭など整っていて、花が咲く季節はさぞ素晴らしいだろうと思った。そのままシュトゥットガルトのオペラハウスでマダム・バタフライを見た。先輩は学生券を買うために並んでいたのに、先輩の前の人で券がなくなり、泣く泣く先に帰ってもらい、私は一人で見ることに。ピンカートンは迫力があった。蝶々さんは、着物ではなくウエディングドレスだし、ピンカートンも二重唱のところでトランクスになっていて、近代的だった。結婚式の場面も、現代の日本を連想させる演出だった。噂どおり全体的に近代的な演出だった。会場は満員だった。ドイツの劇場でドイツ語字幕の日本の物語をイタリア語でやっていておもしろく感じた。帰りは、サンドウィッチとコーヒーを立って一人で食べ、一本で帰れる電車に時間的に乗れなかったため、何回も乗り継ぎをして帰るコースに。先輩の家に着いたのは真夜中の1:20だった。乗り継ぎで、一つ前の駅で「ここはどこ?」と前に座っていたおじさんに聞いたら、超親切で、次の電車も一緒だったこともあって懇切丁寧に説明してくれて、隣の席に呼ばれ、自分は降りるからと新たなおじさんにあずけてくれた。新たなおじさんと若者も超親切で、若者は説明とともに時刻表をくれた。次にあずけられた背の高いおじさんとは50分間一緒で、仕事や旅の話をした。英語でしゃべってくれて、みんなまじめで親しげで、親切だった。すごかった。ドイツ語ができたら、と思った。
3月31日(金曜日)晴れ時々ヒョウ
ヘッヒンゲン(ホーエンツォレルン城)
先輩と、ヘッヒンゲンという町にあるホーエンツォレルン城を訪れた。電車とバスで行った。行きのバスには、他に、若いイタリア人夫婦と、もっと若いドイツ人の女の子2人しかいなかった。山の頂上にあって、雪が残っていたし、ヒョウは降るし、風は強すぎだし、城の中は極寒だった。オズの魔法使いのお城みたいなつり橋があった。面白かった。今は血を引く人が住んでいるらしい。

帰りは山を少し下ったところに食事処があったので、ちゃんと昼食とってないし駅までのバスが来る時間までいようと思い入ったが、「食べ物はもうない」と言われ(まだ15時)、そのコックと思われるおじさんが、「駅まで送ろうか?」と言ってくれたのでせっかくだから送ってもらうことに。それまで一緒にビールを飲み、ドイツ語のわかる先輩とおまけの私と話していた、ペンキで汚れたエプロンをつけたいかにも田舎のドイツ人という感じのおじさん。カフェでおろしてくれて、自分の息子と奥さんにあずけて、4時に迎えに来てもらい駅まで送っていただくはめになった。ケーキのつもりで「これ」と注文したものが、名物の白アスパラのキッシュみたいなもので、とてもおいしかった。搬送中、おじさん嬉しそうで、町中の知り合いに車からあいさつして、ヘッヒンゲンの町や自分の家まで案内してくれた。後から考えるとすっごく楽しかった。おじさんの人柄に万歳!ヘッヒンゲンいい町☆

明日ドイツを後にするので、食べ残しがないように、道でウインナーを買って食べ、夜は先輩とラドラー(軽めのビール)などとともにケバブを食べた(トルコ料理だけど)。スーパーでお土産も買った。
4月1日(土曜日)晴れ
カールスルーエ→ストラスブール→パリ
フランスを出発する日、フランスがデモだということがわかり、朝あわてて、最後の日の宿泊場所を空港近くのホテルに変える。カールスルーエ中央駅まで行って、ちょうど昨日着いた別の先輩と2人に見送られて、ドイツを発つ。ストラスブールに。駅の放送が急にフランス語に!たまにドイツ語を聞くとちょっと嬉しい。ストラスブールはとてもかわいい町だった。4時間シャンパーニュ・アルザス地方を通ってパリ到着。車窓からの景色が、フランス風に移り変わっていった。家々のベランダの柵の模様が繊細で豪華になっていった。初めて降り立つパリ…。私の泊まるホテルはショパンが最後に住んだ家のすぐ近くらしかった。荷物を引きずってホテルを探し、荷物を置いてサクレ・クール寺院を目指して出かける。その周辺はモンマルトルというそうで、地下鉄に乗って勘で降りたらちょっと行き過ぎたらしく、とっても黒人が多かった。道路は高い建物に覆われていて、とてもじゃないけど寺院は見えなく、たくさん歩いて探してやっと見つかった。寺院やそこからの眺めは素晴らしかった。夕方にも関わらずまだ明るく、観光客も多かった。夜は、ホテルの近くの料理屋で安めのコース料理を食べた。ロゼ、オニオンパンスープ、ダックとジャガイモ、ケーキビュッフェ。ホテルはシンプルでよかった。
4月2日(日曜日)晴れ
パリ探索
今日は何やらすごい一日だった。まずルーブル美術館に。第一日曜で無料だったので人が多かったが、地下から入ったのでそんなに並ばずに見れた。まず彫刻に圧倒され、フランス絵画の大作に圧倒された。いきなりフランス絵画の大作の間に行ってしまった私は、あまりのすごさに危うく一人で泣くところだった。モナリザ、ニケ、私が中学のときに背景を模写したダ・ヴィンチの絵、友達が模写した絵、ギリシャ彫刻…館内広い上に次から次へと盛りだくさんで、おなかいっぱいになった。オランジェリーは閉まっていたためモネの睡蓮は見れなかった。オルセーもすごく行きたいけど、次にしよう。美術館を後にそのままチュイルリー公園、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門と、ずうっと歩いていった。空気が乾燥していて、天気もよかったし、道は広いし、日の光がとてもまぶしかった。その後、地下鉄でシテ島まで行ってみた。セーヌ川沿いにずっと歩き、パリの風景は素晴らしかった。そのままカフェを探して歩き、アンジェリーナという、ケーキが有名だと後で知ったところで食事。またまた地下鉄でエッフェル塔へ。登りはしなかったけど、大きかった。夜ライトアップしたらさぞきれいだろうと思いつつ、暗くなるまで待つことはできなかったのでホテルに帰った。7時だけど夏時間になったばかりで外はまだ昼のように明るい。パッサージュが近くにあると知り、再び出かけてみたが、時間が時間なので、ほとんど店は閉まっていた。何かお茶でもしようかな…と歩いていたら、「ボンジュール」とフランス人風おじさんが声をかけてきた。「ちょっと一人でもてあましているんだけど、お茶一緒にしてくれませんか?」と確か英語で言われ、何事も経験、お茶くらいならとついて行った。お茶しながら、彼はミュージシャンで、ジャズピアノを弾き、歌い、ギターを弾くと言っていた。「シャンゼリゼに行ってピザでも食べない?友達さん」と言うので、夜景見てないし行ってみるかな、とついて行くことにした。何で持っているのか、歩き出すとピアスをくれた。家が近くだったらしく家に荷物を置くついでに服までくれようとして、それはさすがにちょっと怖かったし断った。地下鉄に乗り、着いて降りると、目の前には夜空の中で光り輝くエッフェル塔が!!それを目指してセーヌ川沿いを歩いた。感動した。そしてシャイヨー宮へ。その後凱旋門まで行き、シャンゼリゼ通りを一望した。昼間とはまったく違う眺め。ピザを食べ、お礼を言ってお別れ。その人は、フランス語⇔日本語の辞書を持っていて、私のことを褒め称えて気に入ってくれ、文化の違いもあるだろうけどスキンシップも激しく、「妻?友達?」という語を指して私が変な顔をすると「泣く」と指していた。カメラを持っていなかったので、明日もエッフェル塔の写真撮りに行こうと言われたが、ちょっと怖かったので、明日の朝出発しないといけないと言い、断った。そして夜中も一緒に居ることをせがまれたが断った。少し怖かったけどついて行かなければ見れなかったであろう素晴らしい夜景。
一日目にしてこの体験。これがパリなのでしょうか…。
4月3日(月曜日)晴れ
パリ→空港のホテル
「朝出る」と昨日のおじさんに言ったし、近くに住んでいるらしかったし、昨日吹いていたような口笛が近くで聞こえたり止んだりしているし、ばったり会うことなど考えてなかなか外に出られず、昼近くまで部屋に居た。チェック・アウトしてオペラ・ガルニエまで歩き、ロワシーバスに乗り空港へ。またバスに乗り別のホテルに。フランス語がまったくできなく心細いし、親切な人とそうでない人がいるように感じた。ホテルに着いた瞬間泣けてきた。その後はボーっと過ごした。テレビでは、フランスのドラマと思われるもの、イタリア映画のフランス語字幕、ドイツ番組と思われるものがやっていた。
4月4日(火曜日)晴れ
ホテル→空港
早めに空港に行き、飛行機に。着いたら朝だから頑張って寝よう。
4月5日(水曜日)雨
空の上→自分の家
日本に降りた瞬間思ったこと。空気が湿っている…。京成線で景色を眺めながら。
桜と田んぼと民家の風景が趣深く、日本だって素敵じゃないかぁ!
パリではドイツよりもきらきらまぶしい光が道中に溢れている感じがする。
豪華で整然とした建物に降り注ぐ光。印象派が生まれた原因の一つかな。
フランスではあまり人と関わってないけど、ドイツ人はたぶん田舎だったこともあり、誠実であたたかく親切と感じた。ベートーヴェンの音楽にあるように感じる人間愛、博愛精神はコレかな、と思った。
旅行は語学ができたらもっともっと楽しくなるだろう。2人くらいがいいかなあ。 完
3月30日(木曜日)曇り
シュトゥットガルト(ルートヴィヒスブルグ城→オペラ)
ゆっくり起きて、ルートヴィヒスブルグ城を外側だけ散歩した。城の中はツアーでしか見れず、予定していたオペラの時間にぎりぎりだったのでやめた。庭など整っていて、花が咲く季節はさぞ素晴らしいだろうと思った。そのままシュトゥットガルトのオペラハウスでマダム・バタフライを見た。先輩は学生券を買うために並んでいたのに、先輩の前の人で券がなくなり、泣く泣く先に帰ってもらい、私は一人で見ることに。ピンカートンは迫力があった。蝶々さんは、着物ではなくウエディングドレスだし、ピンカートンも二重唱のところでトランクスになっていて、近代的だった。結婚式の場面も、現代の日本を連想させる演出だった。噂どおり全体的に近代的な演出だった。会場は満員だった。ドイツの劇場でドイツ語字幕の日本の物語をイタリア語でやっていておもしろく感じた。帰りは、サンドウィッチとコーヒーを立って一人で食べ、一本で帰れる電車に時間的に乗れなかったため、何回も乗り継ぎをして帰るコースに。先輩の家に着いたのは真夜中の1:20だった。乗り継ぎで、一つ前の駅で「ここはどこ?」と前に座っていたおじさんに聞いたら、超親切で、次の電車も一緒だったこともあって懇切丁寧に説明してくれて、隣の席に呼ばれ、自分は降りるからと新たなおじさんにあずけてくれた。新たなおじさんと若者も超親切で、若者は説明とともに時刻表をくれた。次にあずけられた背の高いおじさんとは50分間一緒で、仕事や旅の話をした。英語でしゃべってくれて、みんなまじめで親しげで、親切だった。すごかった。ドイツ語ができたら、と思った。
3月31日(金曜日)晴れ時々ヒョウ
ヘッヒンゲン(ホーエンツォレルン城)
先輩と、ヘッヒンゲンという町にあるホーエンツォレルン城を訪れた。電車とバスで行った。行きのバスには、他に、若いイタリア人夫婦と、もっと若いドイツ人の女の子2人しかいなかった。山の頂上にあって、雪が残っていたし、ヒョウは降るし、風は強すぎだし、城の中は極寒だった。オズの魔法使いのお城みたいなつり橋があった。面白かった。今は血を引く人が住んでいるらしい。

帰りは山を少し下ったところに食事処があったので、ちゃんと昼食とってないし駅までのバスが来る時間までいようと思い入ったが、「食べ物はもうない」と言われ(まだ15時)、そのコックと思われるおじさんが、「駅まで送ろうか?」と言ってくれたのでせっかくだから送ってもらうことに。それまで一緒にビールを飲み、ドイツ語のわかる先輩とおまけの私と話していた、ペンキで汚れたエプロンをつけたいかにも田舎のドイツ人という感じのおじさん。カフェでおろしてくれて、自分の息子と奥さんにあずけて、4時に迎えに来てもらい駅まで送っていただくはめになった。ケーキのつもりで「これ」と注文したものが、名物の白アスパラのキッシュみたいなもので、とてもおいしかった。搬送中、おじさん嬉しそうで、町中の知り合いに車からあいさつして、ヘッヒンゲンの町や自分の家まで案内してくれた。後から考えるとすっごく楽しかった。おじさんの人柄に万歳!ヘッヒンゲンいい町☆

明日ドイツを後にするので、食べ残しがないように、道でウインナーを買って食べ、夜は先輩とラドラー(軽めのビール)などとともにケバブを食べた(トルコ料理だけど)。スーパーでお土産も買った。
4月1日(土曜日)晴れ
カールスルーエ→ストラスブール→パリ
フランスを出発する日、フランスがデモだということがわかり、朝あわてて、最後の日の宿泊場所を空港近くのホテルに変える。カールスルーエ中央駅まで行って、ちょうど昨日着いた別の先輩と2人に見送られて、ドイツを発つ。ストラスブールに。駅の放送が急にフランス語に!たまにドイツ語を聞くとちょっと嬉しい。ストラスブールはとてもかわいい町だった。4時間シャンパーニュ・アルザス地方を通ってパリ到着。車窓からの景色が、フランス風に移り変わっていった。家々のベランダの柵の模様が繊細で豪華になっていった。初めて降り立つパリ…。私の泊まるホテルはショパンが最後に住んだ家のすぐ近くらしかった。荷物を引きずってホテルを探し、荷物を置いてサクレ・クール寺院を目指して出かける。その周辺はモンマルトルというそうで、地下鉄に乗って勘で降りたらちょっと行き過ぎたらしく、とっても黒人が多かった。道路は高い建物に覆われていて、とてもじゃないけど寺院は見えなく、たくさん歩いて探してやっと見つかった。寺院やそこからの眺めは素晴らしかった。夕方にも関わらずまだ明るく、観光客も多かった。夜は、ホテルの近くの料理屋で安めのコース料理を食べた。ロゼ、オニオンパンスープ、ダックとジャガイモ、ケーキビュッフェ。ホテルはシンプルでよかった。
4月2日(日曜日)晴れ
パリ探索
今日は何やらすごい一日だった。まずルーブル美術館に。第一日曜で無料だったので人が多かったが、地下から入ったのでそんなに並ばずに見れた。まず彫刻に圧倒され、フランス絵画の大作に圧倒された。いきなりフランス絵画の大作の間に行ってしまった私は、あまりのすごさに危うく一人で泣くところだった。モナリザ、ニケ、私が中学のときに背景を模写したダ・ヴィンチの絵、友達が模写した絵、ギリシャ彫刻…館内広い上に次から次へと盛りだくさんで、おなかいっぱいになった。オランジェリーは閉まっていたためモネの睡蓮は見れなかった。オルセーもすごく行きたいけど、次にしよう。美術館を後にそのままチュイルリー公園、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門と、ずうっと歩いていった。空気が乾燥していて、天気もよかったし、道は広いし、日の光がとてもまぶしかった。その後、地下鉄でシテ島まで行ってみた。セーヌ川沿いにずっと歩き、パリの風景は素晴らしかった。そのままカフェを探して歩き、アンジェリーナという、ケーキが有名だと後で知ったところで食事。またまた地下鉄でエッフェル塔へ。登りはしなかったけど、大きかった。夜ライトアップしたらさぞきれいだろうと思いつつ、暗くなるまで待つことはできなかったのでホテルに帰った。7時だけど夏時間になったばかりで外はまだ昼のように明るい。パッサージュが近くにあると知り、再び出かけてみたが、時間が時間なので、ほとんど店は閉まっていた。何かお茶でもしようかな…と歩いていたら、「ボンジュール」とフランス人風おじさんが声をかけてきた。「ちょっと一人でもてあましているんだけど、お茶一緒にしてくれませんか?」と確か英語で言われ、何事も経験、お茶くらいならとついて行った。お茶しながら、彼はミュージシャンで、ジャズピアノを弾き、歌い、ギターを弾くと言っていた。「シャンゼリゼに行ってピザでも食べない?友達さん」と言うので、夜景見てないし行ってみるかな、とついて行くことにした。何で持っているのか、歩き出すとピアスをくれた。家が近くだったらしく家に荷物を置くついでに服までくれようとして、それはさすがにちょっと怖かったし断った。地下鉄に乗り、着いて降りると、目の前には夜空の中で光り輝くエッフェル塔が!!それを目指してセーヌ川沿いを歩いた。感動した。そしてシャイヨー宮へ。その後凱旋門まで行き、シャンゼリゼ通りを一望した。昼間とはまったく違う眺め。ピザを食べ、お礼を言ってお別れ。その人は、フランス語⇔日本語の辞書を持っていて、私のことを褒め称えて気に入ってくれ、文化の違いもあるだろうけどスキンシップも激しく、「妻?友達?」という語を指して私が変な顔をすると「泣く」と指していた。カメラを持っていなかったので、明日もエッフェル塔の写真撮りに行こうと言われたが、ちょっと怖かったので、明日の朝出発しないといけないと言い、断った。そして夜中も一緒に居ることをせがまれたが断った。少し怖かったけどついて行かなければ見れなかったであろう素晴らしい夜景。
一日目にしてこの体験。これがパリなのでしょうか…。
4月3日(月曜日)晴れ
パリ→空港のホテル
「朝出る」と昨日のおじさんに言ったし、近くに住んでいるらしかったし、昨日吹いていたような口笛が近くで聞こえたり止んだりしているし、ばったり会うことなど考えてなかなか外に出られず、昼近くまで部屋に居た。チェック・アウトしてオペラ・ガルニエまで歩き、ロワシーバスに乗り空港へ。またバスに乗り別のホテルに。フランス語がまったくできなく心細いし、親切な人とそうでない人がいるように感じた。ホテルに着いた瞬間泣けてきた。その後はボーっと過ごした。テレビでは、フランスのドラマと思われるもの、イタリア映画のフランス語字幕、ドイツ番組と思われるものがやっていた。
4月4日(火曜日)晴れ
ホテル→空港
早めに空港に行き、飛行機に。着いたら朝だから頑張って寝よう。
4月5日(水曜日)雨
空の上→自分の家
日本に降りた瞬間思ったこと。空気が湿っている…。京成線で景色を眺めながら。
桜と田んぼと民家の風景が趣深く、日本だって素敵じゃないかぁ!
パリではドイツよりもきらきらまぶしい光が道中に溢れている感じがする。
豪華で整然とした建物に降り注ぐ光。印象派が生まれた原因の一つかな。
フランスではあまり人と関わってないけど、ドイツ人はたぶん田舎だったこともあり、誠実であたたかく親切と感じた。ベートーヴェンの音楽にあるように感じる人間愛、博愛精神はコレかな、と思った。
旅行は語学ができたらもっともっと楽しくなるだろう。2人くらいがいいかなあ。 完
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